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64件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-05-25 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第13号

「汝もし一身上の事で思案に及ばざる事あらば、」、中略ですが、「日本帝国政府に懇願し、援助を受けよ。天皇の国・大日本帝国は即ち汝等の父の国にして、同時に汝等保護者たる事疑いなし。」、こう書かれています。もう私、これ見たときに本当にぐっときました、胸に。この遺書を書いた橋本茂さんのお子さんの和枝さん、いまだに無国籍だそうです。  

白眞勲

2021-05-25 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第13号

国務大臣茂木敏充君) この日本帝国政府と今は状況違っておりまして、日本政府ということになりますが、援助を受けなさいと、また、日本は汝の父の国として、同時に汝等保護者たる事疑いなし、こういう思いを持って海外にいらっしゃる方がいらっしゃると、お亡くなりになったと。そういった、ここにあります橋本さんの思いにもしっかり応えていきたいと思います。

茂木敏充

2018-06-12 第196回国会 参議院 農林水産委員会 第22号

当時の帝国政府ですよ。そこは、どういう問題意識をやっているか。百年前だから古いだろうなと思ったら大間違いです。要旨がきちんと調査した先生方によって残っております。読みます。  悪徳な問屋は、農民が自分が食べるのに必死で農民同士の団結が極めて弱いのをいいことに、前渡金、前貸金ですね、青田刈りをてこに安値で買い取る。

菅原邦昭

2018-01-30 第196回国会 衆議院 予算委員会 第3号

日本帝国政府主張は、米国による広島市での原爆攻撃は、既に当時でも国際法で禁じられていた無差別かつ残虐性によって禁止されている毒ガス兵器をはるかに凌駕するものとして、米国国際法及び人道の根本原則を無視したもので、この原爆攻撃は、ここにございます、人類文化に対する罪悪であるということまで言っているわけです。  そこで、伺います。  

原口一博

2012-11-13 第181回国会 衆議院 予算委員会 第2号

これは、昭和二十年の帝国政府そして軍部首脳たちが、国策を大転換する、要するに、戦争を終結させるということが必要だ、戦争継続は困難だというふうに思っていたにもかかわらず、惰性や保身や、失う利益の大きさをもってなかなか言い出せないで、結果として惨禍を大きくしてしまったということをその番組で言っておりました。最近も再放送されておりました。  

松崎哲久

2012-04-18 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号

一九三〇年代から一九四五年までの間、日本帝国政府の軍によって拉致された二十万人以上の女性少女記憶にとどめ、慰安婦として知られている彼女たちは、誰も見過ごすべきではない人権侵害に耐えた、我々はこのような人類に対する罪の恐ろしさを忘れまい、二〇一〇年十月二十三日に寄贈される、ベルゲン郡、郡執行委員会郡議会及びパリセイズパーク市、こういう記念碑米国のニュージャージー州に設置されています。  

下村博文

2012-04-18 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号

一九三〇年代から一九四五年までの間、日本帝国政府の軍によって拉致された二十万人以上の女性少女記憶にとどめ、慰安婦として知られている彼女たちは、誰も見過ごすことができない人権侵害に耐えた、我々はこのような人類に対する罪の恐ろしさを忘れまい、こういう記述なわけですよ。  この記述についてどう思われますかというふうにお聞きしているんです。

下村博文

2012-03-26 第180回国会 参議院 予算委員会 第14号

国務大臣玄葉光一郎君) ちょっと仮訳をそのまま読めということでございますので、そのまま読ませていただきますが、一九三〇年代から四五年までの間、日本帝国政府の軍によって拉致された二十万人以上の女性少女記憶にとどめ、慰安婦として知られる彼女たちは、誰も見過ごすべきではない人権侵害に耐えた、我々はこのような人類に対する罪の恐ろしさを忘れまいというふうに記されております。  

玄葉光一郎

2011-05-19 第177回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号

そのときに近衛首相はこれに聞く耳を持たずに、帝国政府は、自後、国民政府、蒋介石の国民政府ですね、とは対手をせずと声明を出して、交渉断絶をしたんです。その理由、何か御存じですか。どうして多田駿中将率いる参謀本部が、もう仕方がないと、これだけ進言しても聞いてくれないんだったら仕方がないと言ったか。そのときの理由は、軍部主張を取り下げないと内閣が潰れるという理由だったんですよ。

宇都隆史

2010-08-02 第175回国会 衆議院 予算委員会 第1号

当時の帝国政府は、今の首相官邸裏あたりに、総力戦研究所、そういう研究所を立ち上げました。軍や、あらゆる官庁や、あるいはマスコミや、主に三十代のえりすぐりの俊才を集めて、もし日米が戦えばどうなるか、今でいうシミュレーションをやりました。そして、昭和十六年の夏、近衛総理東条陸相や、居並ぶ閣僚の前でその結果が発表されました。  

石破茂

2002-12-06 第155回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号

もちろん、孤児が生まれた直接のきっかけである、終戦前後、もう見捨てて、日本軍もそして当時の大日本帝国政府もこれを置き去りにした、こういうこともあります。それと同時に、戦後なぜ四十年も五十年もかかったのか、こういう問題でございます。  とにかく、一九五九年には、当時、既に三千人の孤児を含む一万三千人の残留邦人中国に遺棄され、生存していることが明らかになっていた。

大森猛

1999-03-12 第145回国会 参議院 総務委員会 第4号

日本軍が占領中に発行した軍票は、大日本帝国政府責任を持って発行したもので、戦後日本国政府責任を持って交換、整理すべきものでした。ここに実物があります。「大日本帝國政府 軍用手票 拾圓」の実例です。  軍票交換、整理は国家の国際的威信にかかわる問題ですから、大蔵省の記録によっても日露戦争、第一次大戦などの際発行された軍票はほぼすべてが整理されています。

阿部幸代

1997-03-18 第140回国会 参議院 外務委員会 第5号

そういう目で考えますと、戦前に中国革命を考えていた若い獅子たち孫文初め何人かの亡命者日本政府は受け入れていたわけであって、旧憲法下帝国政府の方が今の政府よりも毅然としていたのかなと、これ皮肉ですけれども、そういう見方もないわけではないのでありまして、やっぱりもっと真剣に政治亡命者の受け入れというのを考えてもいいんじゃないか。  

佐藤道夫

1995-10-17 第134回国会 参議院 予算委員会 第3号

韓国皇帝は、こういう問題は政府に諮詢したいということを述べたとされておりますが、その際、伊藤大使から、  之ヲ御承諾アルトモ又或ハ御拒ミアルトモ御勝  手タリト雖モ若シ御拒ミ相成ランカ帝国政府ハ  已ニ決心スル所アリ其結果ハ果シテ那辺ニ達ス  ヘキカ蓋シ貴国地位ハ此条約締結スルヨリ  以上ノ困難ナル境遇ニ坐シ一層不利益ナル結果  ヲ覚悟セラレサルヘカラス と述べたと、こういうふうにされております

加藤良三

1994-11-29 第131回国会 衆議院 厚生委員会 第9号

原爆投下国際法違反については、一九四五年、広島、長崎直後でございますが、明治憲法下帝国政府スイス政府を通じて国際的な抗議をしております。後にも先にもない立派な抗議だったというように私は思います。もちろん戦争中ですから敵が憎いので強い言葉を使ったとも言えますが、論理的に考えてそうだと思います。  

田川時彦

1993-04-26 第126回国会 衆議院 決算委員会 第9号

○斉藤(一)委員 御承知のとおり、米国原爆投下について日本政府は、「帝国政府は自らの名において、かつまた全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に、即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」というのが抗議内容です。この抗議内容についていささかの変更はないと思いますけれども、現在の政府はこれを変更したというお考えなんでしょうか。

斉藤一雄

1992-03-21 第123回国会 参議院 予算委員会 第6号

そこで、私は官房長官にお尋ねしますけれども、今お答えいただきました事実から、従軍慰安婦というのはやはりかつてのいわゆる帝国政府及び軍当局戦争を遂行するための手段として、日本軍の軍人、兵士に性的慰安、これは旧軍隊が使っている言葉ですけれども、そういう性的慰安を与えるために朝鮮の女性を駆り出したものと見られますが、政府はこの事実をお認めになりますね。

清水澄子

1988-05-17 第112回国会 参議院 内閣委員会 第9号

スイス特命全権大使にあてたものでありまして、「帝国政府ハ各交戦国ニ依リ支給セラレタル捕虜ニスル給養額ハ戦争終了捕虜ノ兵役ニ服シタル国ニ依リ返済セラルルモノト了解ス」と、つまり日本が二九年条約を準用することによりまして、二九年条約に定められて改善されたところの捕虜労働賃金は差し引かないでそっくり渡してくれるように、日本政府もそのように理解しましたという公文書国際赤十字に発したわけであります。

斎藤六郎

1988-04-26 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

なお、昭和十七年九月十二日には、当時外務大臣でありました東条英機さんが、スイス特命全権公使、その当時の日本条約上の保護国ですか代理国でありますか、そういうことであったと思いますが、その方に文書を出しまして、「帝国政府ハ各交戦国ニ依り支給セラレタル捕虜ニスル給養額ハ戦争終了捕虜ノ兵役ニ服シタル国ニ依リ返済セラルルモノト了解ス」、非常に明快なことをおっしゃっておる。

斎藤六郎

1988-04-26 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

それから第二点は、「連合軍最高司令官司令部」「一九四六年八月二十六日」「覚書宛先 日本帝国政府」「経由機関 連絡中央事務局 東京」「件名 ヤスタロウ・ヤマモトに対する戦時捕虜賃金の支払いについて」、後ずっと文章が書かれておって、最後に「最高司令官に代わって 軍務局長 陸軍大佐 AGD ジョン・B・コーリィ」、これが第二番目の文書であります。  

渡部行雄